2005年5月期 感謝祭 教話 <稲村教会長>
5月は教団では祖遂断(おやしきり)が二代教祖さまによって神授かった月なんですね。
今日はそれに因んで祖遂断についてお話をさせていただきます。
私たちが毎日生活しておりましていろいろ祖遂断で助けていただいております。
今も○○さんご夫妻のすばらしいカップルが誕生したんですけれども、
まだまだアツアツの湯気がたっているカップルでございますけれども、
私も○○さんから何年か前に結婚の相談を受けまして、「○○さん祖遂断でいきましょう、
祖遂断でいったら絶対にいいですよ」と言って、指折り数えて片手ですか両手を使うぐらいの年数○○さんが
祖遂断を続けられました。
「おしえおや様のお徳を全部いただいたらいいですよ」と言ったらご自分から錬成を
毎年8月に何年も受けられましてね、祖遂断や解説をよく受けられるんですよ。
ここまで一生懸命されますと私も絶対良い縁が出てきますから大丈夫ですよ、大丈夫ですよと言った手前、
授かる前に転勤できないねと言って家内と言ったりしていたんですけれども。
おしえおや様のお徳をいただいてすばらしい縁を授かられました。
私は灯台下暗しで△△さんのことはあまり存じてなかったわけです。
あちらはあちらで一生懸命親孝行をしながら、観音の方でお父さん亡き後、
△△さんがお母さんと二人でカレー店をやって、最高のカレーライスだったそうですよ。
今度のご結婚でカレーライス店が閉店になったので、私も食べないままに閉店になったのが
一つ心残りなんですけれども。
ま、それは冗談といたしまして、私たちは楽しいことであれ大変なことであれ、
祖遂断で守っていただいておりますね。
ただ、祖遂断をいただきます時は、二カ条のお誓いがございますね。
PLで教えられた事は如何なる事も必ず守り行います、PLの信念信仰を貫きますとあります。
ですからPLで教えられたことは必ず守りますと。
こういうお約束をして祖遂断をいただきます。ですから教えの実行ということが大切なんですね。
○○さんも祖遂断で体験なされましてそして今教えの実行に入っておられます。
奥様の待っておられる明かりの点いている家に戻るということはどんなにうれしいことかと
二週間前から経験されていますけれども、ちっちゃな芽が少し出てきた、自分流の在り方もあるんだけれどもな、
とつい小さな不足が出そうになると、「そうじゃないそうじゃない、感謝だ感謝だ」と、
「明かりの点いていないところに戻った時のことを忘れちゃいけない、こんな大きなお恵みをもらっているのに
こんな小さなことでけちをつける心を出しては申し訳ない」と。
これは○○さんが教えの実行に入っておられます。
皆さま方の方が信仰の先輩の方が数多くいらっしゃると思いますけれども、やはりPLの教えの究極は、
「感謝探しと己を捨てる」ところなのかなと思います。
私も感謝探しが上手な方ではありませんので、☆☆先生の下で東京中央教会で修行させていただいたとき、
毎月あるグループにPLの話をしなければならないときが苦痛だったんですね。
それで教会長室で仕事をしておりますと、そのグループの元気な若い奥さんがコンコンと
「先生、皆が集まっていますからお話してください」と言われるんです。
その方はPLを求めておられるんです。
でもそこに集まっている40人ぐらいの内38人ぐらいはPLを求めていないんです。
私が出ていくと早く終わってよという目つきでね、そこに出ていくのが苦痛でね、
嫌だなという思いをして行くんですね。
そしてちょっとは顔でも上げて聞いて下さいよみたいな感じに私もなるもんですから、
私の顔もへんな顔をしていたと思うんですよね。
だからますます嫌になって、☆☆先生に解説をいただいたんです。
「私はあのグループがかなわんのですよ。」と言ったら「何で?」と言うんですね。
「理屈っぽいからなんです」と申し上げますと、
「稲村先生ね、そうだね、みんなにわかってもらおうという思いが強すぎるんだね、先生は。
わからせようという思いが強すぎるんだね。いいのよ、40人のうち1人だけでも聞いてたらいいと思いなさいよ。
あと39人は聞いてなくてもいいとね。みんなにわかってもらおうというあなたのそこを捨てなさい。」
それからとても楽になりましてね。
それと「PLまで足を運んでくれているんだからみんなに感謝したらいいよ。
PLに足を運ぶだけでも感謝なんだよ。だから感謝、感謝で今度出て行ったらいいよ。」
「わかりました。でもそういう気持ちになれますかね。」と言ったら
「それはね、一生懸命拝みなさい、拝まんとなかなか己を捨てられないよ。」ということを解説を受けましてね。
私はわざわざ教会まで来て下さっているこのグループの方に感謝をしようと決意しました。
感謝を探さないでケチをつける、感謝探しが下手なんだなと思ってですね、
それから自分の考えが強すぎるんだなと思って、私はコンコンとドアにノックが来るんですよ、
ノックの音でわかるんですよ、だれが来たかっていうのは。わかるもんですね。
コンコンというと身構えするんですよ。「ちょっと待って下さい」って言って
教会長室の神霊(みたま)があったんで自分の宝生袋に宝生をされていただいて、
「どうぞ神様、自分にとらわれる心を捨てさせてください。
そしてどうか教会に来られているだけでも感謝の気持ちであとは出たとこ勝負で
何を話していいのかも今心にありません。おしえおや様お願いします」と言っていたら楽になってきました。
先ほどもAさんの体験談の中に子どもさんのことをどうしようと思っていたけど、
もう子どもは二十歳以上は任せなさいよと言われたら楽になってきたと。
自分だけで荷物を背負っていたのが、二人の子どもだからご夫婦で考えたらいいですよと言わせたら
楽になってきた。
やっぱり私たちは自分の執着というか自分の思いというかですね、
こういったものにとらわれすぎると感謝まで見えなくなってくるんだなということを私は思わせていただきました。
子育てでも同じことなんですけれど、ある時私たちが子どものことで悩んでいまして、
私の家内が私の兄嫁さんに尋ねたんですね。その頃姉は私の兄を一生懸命看病していたんです。
寝たきりでした。すると、義理の姉が「寿野さん、子どものことなんか悩む暇がないわよ、私。
私も主人の看病のことで手一杯。子どものことで悩みがある余裕のある人がうらやましいわ。」って
言われたって家内が言うんですね。
家内もビックリして、あ〜そうなんだ。自分のギリギリのところで毎日自分の主人の看病をしていたら
子どもの悩みなんて贅沢なんだといって、家内は私が寝たきりになっていないことを感謝したそうです。
だから「感謝探しと己捨て」というのが、私は究極のPLの教えなのかなと思いますね。
そしてやはり己を捨てないと人に何か頼まれたときも嫌だなとか面倒くさいなとか、思ってしまいますね。
この間あるPLの座談会がありましてね、ある夫人がとてもいい話をしてくれました。
「先生、この間ある回転寿司に行ったんです。そうしたらですね、海老お願いしますと私が注文しましたら、
"はい、喜んで"と持って来るんですよ。あれってビックリしました。」と。
きっとマニュアルに書いてあるんでしょうけども、PLの教えも形から入っていくうちにその内、
誠の心が身につくようになってくるのでそれはいいことですね。
人間とにかくみんなどこかがおかしいんですよ。自分を含めて。
だから人の、おかしいところを直そうと思ったらくたびれる。
人のおかしいところは全部病気くらいに思ったらいいですね。そう思うとと楽ですよ。
としかし、このようなことは理屈では分かっていてもなかなか難しいですね。そこに信仰があるんですね。
「神様よろしくお願いします。今日よろしくお願いしま。主人は病気ですから、
私はとにかくさせていただきます」ということですね。自分がくだびれることもありますよ。
自分がくたびれてやる気がおきないときが時々ありますよ。私も寝不足の朝などはシャンとしませんね。
そんな朝は「おしえおや様、どうぞ私の心から怠け心を取ってファイトを入れて下さい。」と遂断って、
ズボンの裾をまくって形からヨイショ、ヨイショと言うと1、2分でおしえおや様の意欲が湧いてきますね。
これはやっぱり自分の力ではない、もう祖遂断なんだ。といことで意欲をいただきますね。
困ったこともこれがありがたい、感謝探しですね。今月は祖遂断の月ですから、どんなことがあっても「祖遂断」、
そして重大なときには「祖遂断神事」をいただいて、「感謝探しと己捨て」をみんなでさせていただいて、
体験をいっぱい生まさせていただきたいと思います。
今日は、どうもありがとうございました。
